『道をひらく』(松下幸之助著)を読む42
みずから決断を下すときに:「善かれと思って」
――経営の迷いに立ち向かう“無策の境地”
経営の意思決定とは、しばしば孤独な作業です。
すべてはチームや顧客、取引先、あるいは社会のためを思って判断している、そう信じて行動しても、結果が裏目に出ることがある。それも、しばしば。
「善かれと思ってやったことが、結局誰の利益にもならなかった」
このような経験は、経営に関わる者であれば誰しも一度は味わっているのではないでしょうか。
相手のためを思って提案した施策が拒否される。
全体最適を考えた改革案が、逆に現場の反発を招いて崩れていく。
そんなとき、私たちは「なぜこんなことに…」と、心の中で静かに傷ついているのです。
松下幸之助氏は、このような「善意のすれ違い」に対して、驚くような視点を提示しています。
善意であれ悪意であれ、意図や思惑を超えた“無策の策”という構えを持てと。
これは決して、「何も考えずに行動しろ」という意味ではありません。
むしろ逆です。考え抜いた末に、思惑や打算を一度手放すこと。その上で、無心に、自然体で物事に向き合う。そこにこそ、経営の真の知恵が宿るというのです。
『無策の境地が、見えにくくなる理由』
正直に告白すると、私自身、これまで自然体で経営判断を下したことはほとんどありません。
「こうすればうまくいくはず」「この手は効果があるだろう」
常に何かしらの計算や期待を抱きながら、判断を積み重ねてきました。
そして多くの場合、うまくいかなかったときほど、さらに思考は複雑になり、心は重くなり、体は疲弊していきました。
経営とは常に決断と対応の連続です。失敗を恐れ、正解を求めるあまり、判断のたびに“意図”が過剰になっていたのです。
しかし松下氏は、そうした「計らいの積み重ね」が、逆に私たちを迷路に導くと教えてくれます。
だからこそ、ときには“策を捨てる勇気”が必要だ、と。
『策を捨てるとは、思考を止めることではない』
では、どうすれば「無策の境地」に至れるのか。
松下氏は、それには悟りが必要であり、修練が必要であると述べています。
この“無の境地”に身を置くとは、決して思考を止めることではありません。
むしろ、深く考え抜いた後に、あえて判断を急がず、静かな心で全体を見渡すこと。
その結果として「何も策を講じない」という選択も、ときには最良の策になり得るのです。
『経営の極意は「静かなる決断」にある』
経営は常に、決断の連続です。
しかし、そのすべてを打算と戦略だけで積み上げることは、いつか必ず限界を迎えます。
疲れた頭では、冷静な判断も創造的な発想も生まれにくいのです。
松下幸之助氏の言葉を借りれば、「思い悩む前に、策なき境地に立ち返れ」。
私たちはときに、「善かれ」と願う気持ちさえ手放すことで、はじめて自然な判断にたどりつけるのかもしれません。
行動の前に、まず心を整えること。
“無の静けさ”の中に、あなたの次の一手が宿っているかもしれません。