『道をひらく』(松下幸之助著)を読む111 【生きがいのある人生のために】:「芋を洗う」
【生きがいのある人生のために】:「芋を洗う」
■人生の浮き沈みに、一喜一憂するな
松下幸之助氏は、人生の浮き沈みにいちいち心を乱す必要はないと説いています。
そのたとえとして用いられているのが、「芋を洗う」という昔ながらの光景です。
大きな桶にたくさんの芋を入れ、丸太の棒でかき回して洗う、すると、上にあった芋は下へ沈み、下にあった芋は上へ浮かび上がる、絶えず位置を変えながら、全体が洗われていきます。
人生もまさに同じです。
今、順調だからといって、それが永遠に続くわけではありません。
逆に、苦しい状況にあるからといって、そのまま沈み続けるわけでもない。
上がる時もあれば、下がる時もある、それが人生の自然な姿なのです。
■大事なのは「位置」ではなく「姿勢」である
この教えの核心は、上にいるか下にいるかではありません。
どんな場所に置かれていても、どういう心でそこに立つか、そこに人生の真価があります。
順境にあれば驕らない、逆境にあれば悲観しない、そして常に、素直に、謙虚に、朗らかに、希望を失わず歩む、それが幸之助氏の示す生き方です。
人はとかく、自分の立場や評価に振り回されがちです。
昇進すれば舞い上がり、失敗すれば落ち込む、しかし、それでは人生の波に翻弄されるだけです。
本当に強い人は、状況に左右されません。
どんな時も、自分の足元を見つめ、淡々と歩み続ける人です。
■芋洗いの桶の中で、人は磨かれていく
考えてみれば、芋はかき混ぜられるからこそ洗われ、磨かれます。
もしずっと同じ場所にとどまっていたら、汚れは落ちません。
人生も同じでしょう。
異動、挫折、責任の増大、思いがけない試練、そうした「かき混ぜられる経験」があるからこそ、人は鍛えられ、磨かれていくのです。
苦しい変化には意味があります、思い通りにならない状況にも、成長の機会が潜んでいます。
目先の上下にとらわれるのではなく、その経験が自分をどう育てているかを見ることが大切なのです。
■振り返れば、私も桶の中にいた
私自身の会社人生を振り返ってみても、まさに芋洗いの連続でした。
平社員として働いていた時代から、やがて大きな責任を担う立場となり、その過程では数えきれないほどの苦労や試練がありました。
時に理不尽な仕事を任され、重圧に押しつぶされそうになったこともあります。
けれども、そのたびに目の前の課題に必死で向き合ってきました。
正直に言えば、この教えを意識していたわけではありません。
得をした、損をしたと考える余裕もなく、ただ無心に、その時々の仕事に取り組んできただけです。
しかし振り返ると、それこそが幸之助氏のいう生き方だったのだと思います。
上がった時に浮かれず、下がった時に腐らず、ただひたすら誠実に歩み続ける、その積み重ねが、今につながっています。
■人生は、流れに逆らわず歩めばよい
人生には必ず波があります。
上り坂もあれば、下り坂もある、そのたびに右往左往する必要はありません。
大切なのは、その波の中で心を失わないことです。
もし今、苦しい状況にあるなら、それはやがて上がるための時間かもしれません。
もし今、順調であるなら、その時こそ謙虚さを忘れてはなりません。
芋洗いの桶の中で芋が巡るように、人生もまた巡ります。
だからこそ、私たちはただ、素直に、謙虚に、希望を持って歩めばいい。
それが、どんな浮き沈みにも揺るがない生き方なのだと思います。