『道をひらく』(松下幸之助著)を読む113 【生きがいのある人生のために】:「自分の非」
【生きがいのある人生のために】:「自分の非」
■成長する人は、自分の非から逃げない
松下幸之助氏は、自分の非を素直に認めることの大切さを説いています。
人は誰しも誤ります、失敗もするし、判断を誤ることもある、これは人間である以上、避けられないことです。
問題は、失敗そのものではありません。
大切なのは、そのとき自分の非をどう受け止めるかです。
幸之助氏は、どんな場合でも自らの非を素直に自覚し、それに従うだけの強い覚悟を持つべきだと語っています。
これは簡単なようでいて、実に厳しい教えです。
なぜなら、人間は本能的に、自分を正当化したがる生き物だからです。
■言い訳は、自分を守るようで自分を壊す
自分の誤りを指摘されたとき、多くの人は反射的に言い訳をします。
「あの状況では仕方なかった」「自分だけが悪いわけではない」「相手にも問題があった」、そうして何とか自分を守ろうとする、その気持ちはよくわかります。
誰だって責められるのはつらいものです。
しかし、ここに大きな落とし穴があります。
言い訳は、その場の痛みを和らげてくれるかもしれません。
けれども同時に、成長の機会を奪ってしまうのです。
非を認めない限り、本当の反省は生まれません。
反省がなければ、改善もありません。
つまり言い訳とは、自分を守っているようでいて、実は自分の未来を損なっているのです。
■潔さは、一朝一夕には身につかない
幸之助氏は、昔の武士の潔さを例に挙げています。
武士は、自らの非をいたずらに弁解せず、潔く認め、その上で進退を決した、だからこそ、人としての品格があったのだと。
もちろん現代において、そこまで極端な覚悟を求められる場面は多くありません。
しかし、この精神は今なお通用します。
自分の誤りを認める潔さ、責任から逃げず、正面から向き合う姿勢、それは自然に身につくものではありません。
日々の修練の積み重ねによってしか育たないのです。
非を認める力とは、人格の筋力のようなものです。
鍛えなければ、いざというとき使えません。
■私自身、言い訳をしてきた
振り返れば、私自身も決して潔い人間ではありませんでした。
仕事で失敗したとき、上司から指摘を受けたとき、まず頭に浮かんだのは反省ではなく、「なぜそうなったのか」という説明でした。
もちろん状況分析は大切です。
原因を整理し、次に備えることは必要でしょう。
しかし、その前にやるべきことがある、それは、自分の非を認めることです。
ここを飛ばしてしまうと、どれほど理屈を並べても、本質からずれてしまいます。
当時の私は、その順序を十分に理解していなかったように思います。
まず認める、そのうえで反省し、次を考える、この順番が極めて重要なのです。
■出発点が違えば、結果も変わる
非を認めずに対策を考えるのと、非を認めたうえで対策を考えるのとでは、出発点がまったく違います。
前者は自己弁護が混じります。
どうしても「自分は悪くなかった」という前提が残る、すると、対策もどこか表面的になります。
一方、後者は違います。
自らの責任を正面から受け止めているからこそ、本質的な改善策にたどり着ける。
この違いが、結果として仕事の質や問題解決の速さに大きな差を生むのです。
成長する人は、ここをごまかしません。
痛みを伴ってでも、まず認める、そこからすべてを始めるのです。
■非を認めることが、人を強くする
多くの人は、非を認めることを「弱さ」だと思っています。
しかし実際は、その逆です。
自分の誤りを認められる人こそ、本当に強い、弱い人ほど、体裁にしがみつきます。
強い人ほど、事実を受け止められる。
なぜなら、非を認めても自分の価値は失われないことを知っているからです。
むしろ、そこで誠実に向き合うことが、自分への信頼を育て、人からの信頼にもつながります。
■まず、自分は非を認めたがらない存在だと知る
この教えを実践する第一歩は、とてもシンプルです。
「人間は誰でも、自分の非を認めたがらない」、この事実をまず自覚することです。
私たちは皆、その弱さを持っています。
だからこそ、日々修練が必要なのです。
小さな失敗でも素直に認める、言い訳を飲み込み、まず受け止める、その積み重ねが、やがて大きな場面での潔さにつながります。
松下幸之助氏のこの教えは、私たちに厳しくも本質的な問いを投げかけています。
あなたは、自分の非を認める覚悟を持っているか。
人生も仕事も、その問いにどう答えるかで、大きく変わっていくのだと思います。