『道をひらく』(松下幸之助著)を読む117 【生きがいのある人生のために】:「心を高める」
【生きがいのある人生のために】:「心を高める」
■人間は本来、美しい存在である
松下幸之助氏は、「人は本来、美しく、見事な存在である」と説いています。
しかし、その美しさは放っておいて自然に現れるものではありません。
磨かなければ曇り、鍛えなければ埋もれてしまう。
だからこそ、人は意識して「心を高める」努力をしなければならないのです。
人間はともすれば楽な方へ流れます。
怠けたい、逃げたい、面倒を避けたい、それが自然な姿でもあります。
けれど、そのままでは人としての真価は決して現れません。
心を磨くとは、その弱さを超えていく営みなのです。
■規律は、人を縛るためではない
松下氏はその例として、禅の修行を挙げています。
禅寺では、座禅の姿勢が崩れれば警策が飛びます。
食事の作法、立ち居振る舞い、日々の所作にも厳格な決まりがあります。
慣れない人にとって、それは窮屈で苦痛にしか感じられないでしょう。
しかし、不思議なことに、その規律を守り続けているうちに、それは次第に自然なものとなります。
最初は苦しかった戒律が、やがて呼吸のように身につく。
そしてそのとき、人は窮屈さから解放され、内面の静けさと品格を手にするのです。
規律とは、人を縛る鎖ではありません、人を高めるための道筋です。
■習慣が人格をつくる
これは禅の世界に限った話ではありません。
仕事でも同じです。
時間を守る、約束を守る、礼を尽くす、整理整頓を怠らない、こうした一つひとつの規律は、最初こそ意識的な努力を必要とします。
けれど、それを繰り返して習慣になったとき、その人の人格そのものになります。
そして人格となった規律は、その人から自然な信頼感や落ち着きとなってにじみ出ます。
人としての美しさとは、外見や言葉の巧みさではありません。
日々の規律がつくり上げる、内面の品格なのです。
■自由とは、規律の先にある
現代は「自由」が重んじられる時代です。
好きなように生きることが尊ばれます。
しかし、真の自由とは、気ままに振る舞うことではありません。
自分を律する力を持った人だけが、本当の意味で自由になれるのです。
規律なくして自由はありません、自制なくして成長はありません。
心を高めるとは、自らを縛ることではなく、自らを解放することなのです。
■心を磨く者が、社会を磨く
私自身、多少なりとも仏教的な修養に触れた経験がありますが、そのたびに感じるのは、「規律は人を小さくしない」ということです。
むしろ、人を大きく、深く、美しくする。
もし一人ひとりが、自らを律し、心を磨く努力を続けるなら、社会は確実に変わります。
互いを尊重し、秩序が保たれ、平和と繁栄はより確かなものになるでしょう。
松下幸之助氏の言う「心を高める」とは、単なる精神論ではありません。
人としての本来の美しさを引き出し、よりよい社会を築くための、極めて現実的な実践なのです。