【自主独立の信念をもつために】:「身につまされる」

■人は「自分ごと」として受け止めたとき、初めて成長する

松下幸之助氏は、「身につまされる」ということの大切さを説いています。
これは単に、他人の出来事に同情するという意味ではありません。
人の喜びを自分の喜びとして感じる、人の苦しみに胸を痛める、社会の出来事を、自分には関係のない話として片づけない、つまり、あらゆる出来事を「自分ごと」として受け止める感受性のことです。
人は、自分に引き寄せて考えたときに初めて、本当の意味で深く感じ、深く学びます。
誰かの失敗談を聞いて、「気の毒だ」で終わるのか、「これは自分にも起こり得る」と受け止めるのか、その違いが、その人の成長の深さを決定づけるのです。

■感動も学びも、身につまされてこそ深まる
身につまされる心がある人は、人生のあらゆる場面から学びを得ます。
誰かの成功を見れば、自分も奮い立つ、誰かの挫折を知れば、自らを省みる、社会の問題に触れれば、自分に何ができるかを考える、そこには、単なる情報の受け取りを超えた「実感」があります。
そして、この実感こそが、人間を深く育てるのです。
喜びも悲しみも、他人事として眺めているだけでは人生の厚みにはなりません。
自らのこととして受け止めてこそ、その経験は血肉となり、人としての奥行きをつくります。
松下氏が伝えたかったのは、この「感じる力」の尊さでしょう。

■無関心は、人生を薄くする
現代は、無関心でいることが容易な時代です。
情報は大量に流れ込みますが、多くは一瞬で消費され、心に残りません。
悲しい出来事を見ても、すぐ次の話題へ。
社会問題を耳にしても、「自分には関係ない」と通り過ぎる。
こうして、人は知らず知らずのうちに感受性を鈍らせていきます。
しかし、それは効率的に生きているようでいて、実は人生の味わいを失っている状態です。
何を見ても心が動かない、何を聞いても深く考えない、それでは、人生は薄くなる、松下幸之助氏が戒めたのは、まさにこの状態です。
人として生きるとは、心を動かしながら生きることです。
身につまされる思いを失ったとき、人は成長を止めてしまうのです。

■仕事も社会も、「わが身につながる」と考える
松下氏は、この姿勢を身近な仕事だけでなく、社会全体へ広げて考えるべきだと説いています。
会社の問題、地域の課題、国の行く末、これらを「誰かが考えること」として済ませてしまえば、社会は決してよくなりません。
「自分ひとりが考えても仕方ない」、そう思った瞬間に、責任ある市民としての歩みは止まります。
小さなことであっても、自分に関係があると受け止める、そこから責任感が生まれ、知恵が働き、行動が始まるのです。
仕事も同じです。
会社の課題を「上司の問題」と見るか、「自分にもつながる課題」と見るかで、その人の働き方はまったく変わります。
主体性とは、こうした当事者意識から生まれるのです。

■現代だからこそ問われる姿勢
いまの時代、人との距離を適度に保つことが賢い生き方のように語られることがあります。
深入りしない、関わりすぎない、余計な責任を負わない、確かに、それは身を守る知恵かもしれません。
しかし、それだけでは人としての厚みは育ちません。
人とともに生きる以上、ときに相手の喜びに心を寄せ、ときに苦しみに向き合い、ともに考える姿勢が必要です。
それが、人間社会を支える本当の成熟です。
距離を置くことばかり覚えれば、心は痩せていきます。

■仕事への真剣さは、「身につまされるか」で決まる
私自身、この教えに触れて改めて考えさせられました。
仕事に本当に真剣に向き合っているかどうかは、その出来事をどれだけ自分ごととして受け止めているかに表れます。
問題が起きたとき、「誰の責任か」と考えるのか、「自分に何ができたか」と考えるのか、その差は決定的です。
おそらく、いまの働き方の中で最も失われつつあるもののひとつが、この「身につまされる思い」ではないでしょうか。
効率や合理性も大切です。
けれど、それだけでは仕事は人を育てません。
心が動くからこそ、人は知恵を絞り、工夫し、成長するのです。

■人生を深く生きるために
松下幸之助氏のこの教えは、極めてシンプルです。
何事も、他人事にするな、それだけです。
人のことをわがこととして受け止める、社会のことを自分の課題として考える、仕事を自らの使命として担う、その積み重ねが、人を深くし、人生を豊かにしていきます。
身につまされる心を持つ人だけが、本当の意味で人生を味わい、本当の意味で成長できる。
私はそう思います。

『道をひらく』(松下幸之助著)を読む109➩

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