『道をひらく』(松下幸之助著)を読む107 【自主独立の信念をもつために】:「敬う心」
【自主独立の信念をもつために】:「敬う心」
■学びは、敬意の深さに比例する
松下幸之助氏は、教えを受ける側の心構えについて、きわめて本質的なことを語っています。
それは、「敬う心がなければ、本当の学びは身につかない」ということです。
どれほど優れた教えに触れても、そこに教わる側の敬意がなければ、その言葉は表面を滑るだけで終わってしまいます。
知識として頭には残っても、血肉にはならない、行動を変え、人生を変える学びにはならないのです。
逆に、教える相手を心から敬い、その言葉を真摯に受け止める姿勢があれば、一言一句が深く身にしみ、確かな成長へとつながっていきます。
学びとは、情報の受け渡しではありません。
人格と人格のあいだで交わされる、敬意のある対話なのです。
■敬意を持つ人だけが、本当に伸びる
先生を敬う、親を大切にする、上司に礼を尽くす、先輩に敬意を払う、こうした姿勢は、単なる礼儀作法ではありません、自らを成長させるための土台です。
仕事のできる人、人格者と呼ばれる人ほど、このことをよく理解しています。
優れた人ほど、決して傲慢ではありません。
むしろ、人一倍謙虚に学び、人一倍深く相手を敬っています。
なぜなら、敬意があるからこそ、相手の言葉の重みを正しく受け取れるからです。
教える側を軽んじる人に、教えは届きません。
これは厳然たる事実です。
学びたいなら、まず姿勢を正すこと、成長したいなら、まず相手を敬うこと、順序は決して逆ではありません。
■この世のすべてが、学びの師となる
松下幸之助氏の教えがさらに深いのは、「敬う対象は人に限らない」と説いている点です。
天地自然、この世に存在するあらゆるものの中に、学ぶべき価値があると。
木々の佇まい、川の流れ、季節の移ろい、幼子の無垢なふるまい、時には後輩の率直なひと言、こうしたものすべてが、自分を育てる教師になり得るのです。
ただし、それは敬う心を持つ人にしか見えません。
松下氏は、人には「敬うべき価値を見出す力」が本質として備わっていると言います。
実に示唆に富んだ言葉です。
つまり、学びの機会は不足していない、不足しているのは、それを見出すこちらの姿勢なのです。
■敬意は、相手の力を引き出す
敬う心には、もうひとつ大きな力があります。
それは、教える側の情熱を引き出すことです。
人は、自分の話を真剣に聴こうとする相手には、自然ともっと伝えたくなるものです。
誠実に学ぼうとする姿勢に触れれば、「この人の役に立ちたい」と思う。
教えは、一方通行ではありません。
教わる側の敬意が、教える側の熱意を生み、その熱意がさらに深い学びを生む、そうした好循環が生まれるのです。
学びの質は、教える側だけでは決まりません。
むしろ、教わる側の姿勢が決定づけるのです。
■私自身が学んだこと
振り返れば、私自身、長い間自分に十分な自信を持てずにいました。
経営を担うようになってからも、「自分はまだ未熟だ」「もっと学ばなければならない」という思いが常にありました。
だからこそ、人の話を聴くときには自然と謙虚になれたのだと思います。
自分より優れた人に出会えば、「この人から学ばせていただこう」と素直に思えました。
そこに自分の都合や理屈を差し挟む余地はありませんでした。
ただ、ひたすら耳を傾ける、教えていただく、その姿勢だったからこそ、多くの方が親身になって力を貸してくださったのだと思います。
「そこまで真剣なら教えてあげよう」、きっと、そう感じてくださったのでしょう。
■敬う心が、自主独立を育てる
一見すると、「敬う」という姿勢は、自主独立とは逆のようにも思えます。
しかし、実際はその逆です。
真に自立した人間になるためには、まず素直に学ばなければならない、そして、学ぶためには敬う心が欠かせません。
敬意のないところに成長はない、成長のないところに、自主独立はない。
松下幸之助氏が伝えたかったのは、この厳然たる順序なのだと思います。
学びたいなら、まず敬う、高めたいなら、まず頭を下げる、そこからすべてが始まるのです。